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河本緑石研究班

鳥取県倉吉の文化人「河本緑石」の研究ブログです。
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「アザリア」発刊100周年/緑石(+健吉)生誕120年

1917年7月、「アザリア」が発行されました。今年で100周年。また、河本緑石(義行)と小菅健吉が生れて120年になります。
この「アザリア」での活動が宮沢賢治の作品に大いに寄与していることが徐々に知られるようになってきましたが、最近若い研究者が「アザリア」の全体像を明らかにしようとしています。
彼らは、アザリアのメンバーの痕跡を求めて、盛岡、花巻、倉吉、韮崎、氏家(現・さくら市)を始めとして、アザリアのメンバー全員の出生地を求めて、全国各地を確認してきました。彼らの新しい点は、実地研究は勿論ですが、その研究の成果をアニメで表現していることです。100%事実、というわけではありませんが、実地研究に基づいた正確なものです。もちろん、アニメという媒体を使う以上そこにデフォルメがないわけではありませんが、それは文章表現でも同じこと。ここにいくつか紹介します(内容はそれぞれご獲得の上ご覧ください)。
アザリアの咲いた本a 岩手日報_005_(245)

彼方 遥峰 著 『アザリアの咲いた本~宮澤賢治と学友達の愉快な青春模様』(2015年9月・著者発行)。サブタイトルの通り言わばメンバー紹介。 
右は「岩手日報」(2016年1月27日)「賢治コーナー」での紹介記事。
アザリア12名(245)
同上の本に付属したリーフレット(「アザリア」のメンバー一覧)。
アザリアの咲いた本2
彼方 遥峰 著『アザリアの咲いた本2』(2016年9月・著者発行)2015年9月の」続編。「彼らの学生生活」がテーマ。
アザリア奇譚
アザリア奇譚部(よよてば・彼方 ヨウホ)著『アザリア奇譚』(2017年1月22日・著者発行)。2人の「アザリア」探索の軌跡を描いたもの。「2.鳥取事変」ほか。 参考サイト⇒ よよてば2017年1月15日
「銀河鉄道の夜」の改稿に関する一考察
よよてば(ふしぎな隣人たち)著『「銀河鉄道の夜」の改稿に関する一考察』(2017年1月22日・著者発行)「銀河鉄道の夜」の原稿推移の中から第4次稿の賢治の意識変化への言及している。彼ら2人の「アザリア」探索の旅の中での発見から構想されている。ここではそれが「そっと」挿入されている。
などなど、彼方 遥峰 氏と よよてば 氏の、賢治作品周縁部に属していたであろう「アザリア」の「その他の人々」への探索から明らかになったもの。それをアニメという手段で「速報」的に表現された事ごと。たくさんの、驚きと発見、そしてそれらの関係性と相互作用が、これから深く研究されるであろう。何年か後が楽しみである。
彼らのサイトをあげておく
 彼方 遥峰(ヨウホ) 氏→ 彼方 遥峰(ヨウホ)  よよてば 氏→よよてば
《通販サイト.》 よよてば 氏→よよてば通販 彼方 遥峰(ヨウホ) 氏→彼方遥峰(ヨウホ)文学フリマ








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緑石頌歌(71首)・・・中城 さと子 さん

緑石に惚れ込んで、作歌・作句する人は多いけれど、この方のように一気に71首詠いあげた人は見たことがない。中城さと子さんだ。
伊那(南箕輪村)在住の越後澄子さんと同じ短歌結社「新青虹」に所属。ご紹介した歌は越後さん・緑石詩集『夢の破片』・句集『大山(だいせん)』ほか緑石の伝記等から取材されて詠われたもの。いちいち注記はないが、歌の中にそれらの語句が秘められている。
*は、『新靑虹 』平成28年7月号と8月号に掲載分。元の歌は縦書き。この項、越後澄子さんのご協力による。
中城さと子 中城 さと子 さん<プロフィール:鈴鹿市在住、文学博士、元中京大学非常勤講師、津中日文化センター 講師
">名古屋 国文学研究会所属、短歌結社「新青虹」所属  著作『流布本 狭衣物語と下紐の研究』ほか。写真はweb上から>     

盛岡高農 伊那谷02
        「盛岡高等農林学校」                  「伊那谷...緑石が<高原>と表した河岸段丘」

     河本緑石                 中城さと子

   *大正に植うるユリノキ校門を覆ひ岩手の夏空透かす  

   ユリノキの茂りに覗くうす黄いろ花弁いくつ涼しく数ふ
 
   木々覆ふ校門の鉄扉閉ざされて心友四たりの青春ありき
 
  *我が伊勢に緑雨あるなり同じ字に親(ちか)しき緑石伯耆人とふ
 
  *文化欄占め緑石を論じける伊那びとの文冬棚に探す

   教師とて伊那に赴任の緑石を忘れてならじと熱く論ぜし

  *伊那びとの緑石慕ひ旅寝せし夏うた眩しむ冬月の窓に

   四国にも緑石の跡たづね詠む伊那びと尖る日差し厭はず

   倉吉の白壁映ゆる記念館へ秋風に乗り車駆けしと

  *波高き浜にも行くか伊那びとの緑石の孫に会ふての後は

   
   悲劇生みし鈍色荒るる海波も見るかとふらここ漕ぎてみるなり

  *生活の全て芸術と詠ひける緑石追ひて伊那に畑打つ

   鍬を打ち土踏む後の畠となる農作業なり芸術に並むと

   戦時にも英語ありきとふ学舎の伊那へ赴任し妻子伴ふ

   砂丘なるふらここに海見し人の夭折の跡を春窓に読む

   薄あかき西空と川面一つへと鎮もりにつつ緑石帰る

   野球部のなきに参加のユニホーム桃色に染み大敗喫すと

   晩秋の黒土耕す手を染めて日の落つる空一つ星潜む

   跡取りの戻らぬもこそ嫁取りて農業学ぶ道を許さる

   入学に盛岡目指す鉄路なり駅ごと冬に戻る心地す

  
   夕影の濁れる色の満つるなか柳角ぐむ岩手に入りぬ

  *自由律の井泉水に加はりて緑石ありとはや抜きんいづ

   北国の川波リズムを打つに浮く水鳥初夏の風に動かず

   キササゲの花の露台に語らひし賢治時々ほそ目に見つむ

   アンカーの身は大銀杏もゆる黄を目印にしてスパートかくる

   帰郷して挙式の後に二人して切りし餅(もちひ)を友と味はふ

   妻の文届かず冷ゆる灰色の盛岡に綴る恨みのたけを

   ゆくりなく芽吹く山々ふつくらと脹らみてをり長き冬逝く

   盛岡に妻と暮らす日近づきて凌霄花の芽吹き目にしむ

   めぐる春寮の暮らしに編む本の合評一位は緑石となる

  
   文芸誌合評すませ四たり行く春夜の河原へ身を投げにけり

   水仙の蕾ほころぶ古里に初産の妻とどめ帰りぬ

  *ものなべて凍るも北上川音のとどく布団に妻へペン執る

   布団より手出だし綴る妻恋のペン先インクの凍りつきつつ

   退学す渡米す病と盛岡を去り緑石の寒さに縮む

   ちりぢりの四たり手紙に寂しきと書き交はしつつ青春過ぎぬ

   降る霙いつしか雨となれるけふ風の匂ひの幽か春めく

   ユリノキの淡き芽吹きも見ぬままに想ひ出閉ざし校門出づる

伊北農商卒業写真 (1024x766)a housaiph01.jpg
    「上伊那郡伊北農商学校」                緑石著『大空放哉傳』の「尾崎放哉」  

     緑石追想               中城さと子

   年の暮れ一年志願の入隊に農民兵への威圧見かぬる 

   兵営を牢獄ともひ仰ぐ月の空ろなるらむ明日を照らせる

   寝入られぬ寒き兵舎に月光の射し入り吾子のひと日思はる

   兵役を経て農民と身の差沁み侘びしき空の色の重かり

  *きりきりと頭痛の続く窓へ雨音たて叩き梅の葉の散る

   岩手にて共に夢見し旧友へ詩集届けて翼休むる

   親頼む暮らしを抜けて早春の高原の屋にやうやう着きぬ

  *高原の夏草の色薄きまま実り乏しき秋となりけり

   日の暮れてやうやう明るむ月影を雲流れつつ冷ゆる子とゐる

   わが魂(たま)の入るか野原の赤トンボ冷ゆる流れに暫し遊ばす
 
  
  *高原に血の色見せて赤トンボ冷えつつ流れ行方知られず

  *高原の昼月のもと秋風の草木をゆらす道を帰りぬ

  *谷道に山ブドウ食み酸っぱきに涙にじみぬ高ぞら仰ぐ

   胸に蛇飼ふ魂の歩み出づる夕べとなりぬ月に涙す

   天井を見つむる嬰児のふかく澄む瞳に見とれ冬の夜更くる

  *涙涸れ星を見つむる幼子の足の冷ゆるを抱き淋しむ

   冬日受け咲く水仙の温もりを風邪の幼にと手を伸ばすなり

   短くも長くも過ぎぬ一年の自問深めし伊那ゆ帰郷す

   麓まではるけき青田照らす月に蛍の灯火しめり滲める

  *一つにもならず逝きにし児の墓へ夕影届きねむの花咲く


   子の墓の辺に蔓延ばす南瓜の花色冴ゆる朝ぐもりなり

   愛児への手向けに放哉伝書かむと寺々めぐり帰る盆なり

  *盆なれば亡き子戻るや砂に足とられつつ聞く波音高し

   夏あした白き歯見せて帽子振り二度と帰らぬ汽車出でにけり

   飛び込みし海波高く潮流に足すくはれて笛の吹かるる

   大波に黒影二つ助けむと船出だすにも揉まれ進まず

   溺れゐる人救はむと夜業にて疲るる身忘れ海に飛び込む

   戻れるは二人のみにて緑石の姿いづこと探しあぐぬる

   死の床に残さるる銀河鉄道のカンパネルラに緑石込むか

   輝ける汀に笑める緑石へ無言に賢治昇り逝きつつ

八橋海水浴場a 山頭火句碑a
     現在の「八橋海水浴場」(夏期)           八橋の東方約3kmの逢束(おうつか)あじさい公園内「悼緑石 山頭火句碑」

    盛岡に深く結びし命二つ眩しみにつつ若きを惜しむ
   
   麦藁帽かぶりて笑める緑石を陽炎立てる畑に追へり

   いまだ見ぬ緑石逝きけるこの夏に世は悲喜劇と山頭火知る

以上71首。
あらためて短歌の「叙事力」を識る思い。そして、それを一気に71首にまとめあげた中城さと子さんの心のエナジーと、その源泉「緑石」を想う。今日8/6、まさに盛夏。「熱中症特別警報」発令中。

 
 
 

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カムパネルラ忌?(河本緑石忌)

やばせ浜まつり2016
今日7月18日は、河本緑石(義行)が、八橋海水浴場で行われた鳥取県立農学校の生徒たちの水泳訓練に教師として帯同し、その際、沖合で溺れた同僚(陸軍士官)を助け上げたが、その後水死してしまった日である。

あらましは、河本緑石研究班FaceBook、こちらの「緑石忌≒カムパネルラ忌」の動画をご参考に。

上の画像は今日7月18日(梅雨明けでした)の八橋海水浴場の様子。毎年祝日の「海の日」に行われる地元・八橋地区公民館主催の「やばせ浜まつり」。主に夏休みに入る小学生を対象に開かれる。
ただ、そこには「河本緑石~カムパネルラ~銀河鉄道の夜~宮澤賢治」などの話は、残念ながら、未だにあまり知られていない。

現在の八橋海水浴場では鮮明な「銀河」を目にすることはないが、水平線には漁り火が並ぶ。夜汽車ではないが...(下の画像)。
黙祷「アザリアよ、永遠なれ!」

漁り火2016


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保阪庸夫さん逝く(補)「講演録」

「講演録」と述べながら、肝心の講演録「翡翠の詞」を掲載忘れ、不悪。
2006(平成18)年1月21日(土)13時から、鳥取県倉吉市倉吉未来中心小ホールでの講演。当日の基調講演として木村東吉(中国短期大学教授)氏に続いて行われた。この講演録は主催者の鳥取県文化観光局文化政策課が編集発行した「とっとりの文学探訪報告集」(2006年12月)に記載された。講演の書き起こし。最後の頁に、当日配布されたチラシに掲載されたプロフィールも添付した。少しは読み取りやすくと濃いめに調整したので見苦しいのはご寛恕を。

翡翠の詞(1)
翡翠の詞(2)
翡翠の詞(3)
翡翠の詞(4)

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保阪庸夫さん逝く

保阪庸夫2008

「アザリア」の主要メンバー保阪嘉内の次男の保阪庸夫(つねお)さんが、7月5日(火)夕方、亡くなられたという、89歳。
2006年(平成18)1月21日(土)午後、鳥取県倉吉市「倉吉未来中心小ホール」で、鳥取県文化観光局文化政策課の主催によって開かれた「ふるさとの文学探訪 ふるさとの大地に生きた詩人 河本緑石 シンポジウム」に、保阪庸夫さんが招かれ、講演とパネルディスカッションへの参加をされた。
そのシンポジウムの報告集が鳥取県文化観光局文化政策課から出されているので、ここに抄録して弔いとしたい。

保阪庸夫シンポジウム
庸夫講演録01 (1024x778)
庸夫講演録04 (1024x760)
そして、保阪庸夫さんの関連書籍の主なものを下に並べてみた。
特に『宮澤賢治 友への手紙』(1968年)は、その発表後、宮澤賢治研究に大きな影響を与えた本だと思われる。

保阪庸夫関連書籍
保阪庸夫・小澤俊郎編著『宮澤賢治 友への手紙』(1968年・筑摩書房)/菅原千恵子著『宮沢賢治の青春』(1994年・宝島社)/大明 敦編著:保阪 善三・保阪 庸夫監修『心友 宮澤賢治と保阪嘉内』(2007年・山梨ふるさと文庫)